役員
理事
将来構想運営委員会/詩界論叢 |
佐相 憲一 |
総務 |
船木 倶子・斎藤 菜穂子 |
例会・国際交流 |
丹羽 京子 |
会報(詩界通信) |
網谷 厚子 |
会計 |
吹木 文音 |
詩界 |
島 秀生 |
新しい詩の声 |
田中眞由美 |
入会 |
塩野 とみ子 |
アンソロジー(日本現代詩選) |
磯崎 寛也(崎は「大」の部分が「立」) |
三 賞 |
秋山 公哉 |
関西大会 |
左子 真由美 |
地域例会 |
曽我 貢誠 |
※入会は網谷厚子、磯崎寛也、島秀生、吹木文音の各理事も担当する。
任期:2025年6月総会後より、2027年6月総会終了まで。
なお、幹事の任期は4年のため、2029年6月総会終了までとなります。
会長就任挨拶
会長担当二期目に当たって 太田雅孝
「詩界通信」の担当者から「二期目会長の抱負」という題で1000字ほどの文章を書くように、と求められましたが、わたしは、あまり大袈裟なことを言うのは性分ではないので、想うがまま自由に書かせていただきます。
わたしは、今回のように、新しい理事会ができたときには、自分の「抱負」を述べる前に、いつも初心に戻って、『会員名簿』に載っている「日本詩人クラブ規約」の第2章第3条を取り上げております。そこには、「本会は和暢友愛の精神をもって詩及び詩学の興隆、国語の醇化に努め、日本文化の進歩に寄与するとともに、詩の国際的交流を促して、世界平和の確立に貢献することを目的とする。」とあります。そこには、〈和暢友愛の精神〉という、現代ではあまり馴染みのない言葉が出てまいりますが、わたしは、それを「和気あいあいのこころ」と置き直して考えています。この素晴らしい精神に沿って、わたしは日本詩人クラブを運営していきたいとおもいます。「抱負」と言えば、これがわたしの抱負です。
幸い、最近の理事会と例会は、コロナ禍開けから対面となって順調に行われており、懇親会も毎回多くの方々が来て下さり、暖かい雰囲気の中、詩や詩人や朗読について、さらには詩の周辺の話で和気あいあい、楽しく盛り上がっています。わたしは、地域と首都圏との交流を大事にしていく方針に大賛成なのですが、現代は諸物価高騰や交通費のこともあり、なかなか楽観的にはなれません。ですが、再開された例会や懇親会には、遠い地方の方々も上京して下さり、今までにないほど嬉しい繋がりを感じております。
その一方で、逝去される詩人の方々の数が増え、老齢による退会などの数も多くなり、優れた詩の書き手や歴史の証人がいなくなる淋しさを痛感しています。しかし、新しい顔ぶれが出てきて、理事会もわずかながら若返り、『詩界論叢』や『日本現代詩選』の出版を始め、『新しい詩の声』などの多彩な活動にも新しい息吹のような活気が出てきています。
最後に、わたし個人としては、老若男女の橋渡しの役目を果たしたいと考えています。とにかく、和気あいあい、和暢友愛の精神を活かして、日本詩人クラブを他にないほど生き生きとした詩人交流の場にして、詩界に元気な風がいつでも吹いているようにしたいとおもっています。皆様のご理解と暖かいご支援を頂けますよう、心からお願い申し上げます。
理事長就任挨拶
理事長就任にあたって 原詩夏至
「本会は和暢友愛の精神をもって詩及び詩学の興隆、国語の醇化に努め、日本文化の進歩に寄与するとともに、詩の国際的交流を促して、世界平和の確立に貢献することを目的とする」(一般社団法人日本詩人クラブ規約第3条)。「和暢」は日頃馴染みのない言葉ですが「わちょう」と読み、「のどか」「のびやか」「おおらか」を意味するとか。とすれば「和暢友愛」とは、要するに「のんびり行こうよ、仲良くやろうよ」の精神、ということになるでしょうか。
とはいえ、それは、一見そう思えるほど簡単なことではないかも知れません。例えば、メディアが、ネットが、周囲の親しい人々が皆、「奴(ら)は敵だ、敵は殺せ、悪は滅ぼせ、それが正義だ、そして我々は正義だ」と眉を吊り上げている時、「待て待て、まずは武器を下ろして、一つ深呼吸を」と穏やかに語りかけることが、「そうだ、そうだ」とただ闇雲に共に叫ぶことより、必ずしも容易な道ではないように―わけても、周囲の至る所に、誰もが思わず怒りと悲しみの拳を振り上げずにはいられなくなるような戦争、災害、格差と貧困、不正と欺瞞、絶望と不信が蔓延する、今のこの世界の只中で。
けれども、どんな時代の、どんな状況下にも、悲しみや苦しみは、恐らくあったのです。そして、それでもなお、日々を少しでも明るく前向きに生きるために、人々は詩歌を必要としたのです。例えば、田植の日には田植歌を―まるで、青田を吹き抜ける風のように。或いは、泣く子には子守唄を―あたかも、母親の傍らで天使が、共にその顔を覗き込んでいるように。
「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」(古今集仮名序)。けれども、「やまとうた」だけでしょうか。いつでも、どこでも、誰にとっても、詩とはそうしたものではなかったでしょうか。そして、とすれば、こんな時代にも―いや、むしろこんな時代にこそ、詩は、詩人は、そして「和暢友愛の精神」は、闇を照らし凍えた心を暖める希望の火であり得るのではないでしょうか。